この江戸には、春の到来など気にも留めないひとがいる。
翌朝早く、直江は景虎の家にいた。
「ずいぶん暖くなりました」
鉢植えをみっつ、並べて置いた景虎は、まず右端の植木から水をやり始めた。
「そういえばそうだな」
葉を掻き分けながら、ゆっくりとした手つきで如雨露を傾ける。
「近頃は水捌けが好い」
いつも似たような着物を着ている景虎は、季節の移り変わりにも無頓着な様子だ。
「梅を見に出掛けたりはしないのですか」
これからの時期の桜には、どうしたって人が集まる。
昔に倣う意味もあって、景虎が桜よりも梅を好むことを、直江はよく知っていた。
しかし景虎には一緒に出掛ける人間などいないだろう。
この家を訪ねてきて、客がいた例がない。
もしかしたら自分が一番頻繁に、この家を訪れているかもしれない。
そんな風に考えていたら、景虎は違う意味で首を横に振った。
「もう少ししたら雪も解ける」
───そうだった。
雪がなくなり道が往き易くなったら、景虎は原料調達と錺り物の研究という名目で、
久々の長旅に出ることになっている。
もちろん実際は、怨霊調伏の為だ。
「そうなれば、梅などいくらでもみかけるだろう」
「……………」
直江が言いたかったのは、そういうことではない。
ただ景虎を、遠出に誘いたいと考えていただけなのだ。
本当なら、旅にだって同行したいと思う。
昔のように寝食を共にする生活をもう一度してみたい。
いつ帰るかもわからない人間を待つ時間を考えて、心がひどく重たくなった。
そんな直江を見透かしたように、景虎は言う。
「長旅にはならない」
手元では、やっとみっつめの植木の水やりに取り掛かっている。
「………だとよいのですが」
今はそう思っていても、いざ出てしまえば何年も戻らない可能性だってある。
覚悟だけはしておかなければ、と思っていたら。
「見飽きた顔も、旅先では恋しくおもう」
景虎は、ふっと微笑った。
「すぐ戻るさ」
流し目で言われて、直江は一瞬、呼吸の仕方がわからなくなった。
翌朝早く、直江は景虎の家にいた。
「ずいぶん暖くなりました」
鉢植えをみっつ、並べて置いた景虎は、まず右端の植木から水をやり始めた。
「そういえばそうだな」
葉を掻き分けながら、ゆっくりとした手つきで如雨露を傾ける。
「近頃は水捌けが好い」
いつも似たような着物を着ている景虎は、季節の移り変わりにも無頓着な様子だ。
「梅を見に出掛けたりはしないのですか」
これからの時期の桜には、どうしたって人が集まる。
昔に倣う意味もあって、景虎が桜よりも梅を好むことを、直江はよく知っていた。
しかし景虎には一緒に出掛ける人間などいないだろう。
この家を訪ねてきて、客がいた例がない。
もしかしたら自分が一番頻繁に、この家を訪れているかもしれない。
そんな風に考えていたら、景虎は違う意味で首を横に振った。
「もう少ししたら雪も解ける」
───そうだった。
雪がなくなり道が往き易くなったら、景虎は原料調達と錺り物の研究という名目で、
久々の長旅に出ることになっている。
もちろん実際は、怨霊調伏の為だ。
「そうなれば、梅などいくらでもみかけるだろう」
「……………」
直江が言いたかったのは、そういうことではない。
ただ景虎を、遠出に誘いたいと考えていただけなのだ。
本当なら、旅にだって同行したいと思う。
昔のように寝食を共にする生活をもう一度してみたい。
いつ帰るかもわからない人間を待つ時間を考えて、心がひどく重たくなった。
そんな直江を見透かしたように、景虎は言う。
「長旅にはならない」
手元では、やっとみっつめの植木の水やりに取り掛かっている。
「………だとよいのですが」
今はそう思っていても、いざ出てしまえば何年も戻らない可能性だってある。
覚悟だけはしておかなければ、と思っていたら。
「見飽きた顔も、旅先では恋しくおもう」
景虎は、ふっと微笑った。
「すぐ戻るさ」
流し目で言われて、直江は一瞬、呼吸の仕方がわからなくなった。
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