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車内の空気は冷え切っていた。
家まで送ると直江が言いだして、高耶が乗り込んだまではよかった。
噛み合わない会話に高耶が苛立ち始め、それを受けて直江の発言はますます荒む。
もう意見のすり合わせはよそうと互いに諦めてしばらく経った頃、山間の道の車窓が、赤く染まり始めた。
顔を出したばかりの太陽が、樹々の葉を照らし出し始めたのだ。

それは、見事な紅だった。

山全体が、その色で、自分たちに何かを訴えかけているようだった。
「───……」
声に出さなくとも、傍らの感動が伝わって来る。
いや、敢えて言葉にするのは止めた。
口にしてしまうと、消えてしまいそうで怖かった。
互いに感じているものが同じなら、それでいい。
互いへの想いが同じなら、それでよかった。


今、この感動をあなたと共有できることが嬉しい。

奇跡のようなこの瞬間を、おまえと分かち合えることが嬉しい。

遠い昔、二度と得られぬのかと絶望したものを、あなたは再び与えてくれた。

誰も自分にやらなかったことを、おまえは当たり前のようにしてみせた。

あなたと生みだすこの空気が、心の傷を癒してくれる。

おまえと紡ぐこの信頼が、明日への一歩を踏み出させてくれる。


最後の最後に残るのは、いつだって互いへの想い。

その事実は、永久に変わらない。


心の底から愛しいのは、あなただけ。

心の底から必要なのは、おまえだけ。
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「誰だよっ!三人でかかれば訳ないとか言ったやつっ!」
涙声でそう言いながら去っていく他校の上級生たちに、それでも年上か、と情けない気分になる。
あがる息を整えようと、大きな木の根元に足を投げ出して座った。
上から、落ち葉がはらはらと降って来る。
尻の下にも葉がこんもりと積っていて、いいクッションになっている。
その赤い葉に、赤い血が垂れた。
相手の顔を殴った時に切ったらしく、手から血が溢れだしていた。
汚れた血。
酒を飲んでは子供を殴る男の血と、子供を捨てても平気でいられる女の血。
手に口をつけて、その血を吸った。


いつまで、自分は孤独なままなのだろう。
最近よく、考える。
もしかしたら一生、自分は孤独なままなのではないだろうか。
アル中の父親はきっと病気で早死にするだろうし、その方が世の為人の為だ。
そしたら自分が美弥をきちんと大学まで送ってやりたい。
けれどいずれは結婚して、家を出て行ってしまうだろう。
その時自分は?
美弥以外の誰かに、必要とされる存在になっているのだろうか。
美弥以外の誰かを、必要な存在だと想うようになっているのだろうか。
さっさと大人になりたいけれど、大人になるのはとても怖い。
大きく、風が吹いた。
真上を見上げると、赤や朱や黄の色をした葉が、ガサガサと音を立てている。
自分と同じだ、と思った。
彼らはきっと今、生まれ育った樹から旅立つことへの不安で、胸がいっぱいに違いない。
再び吹いた風の冷たさと、自分を待ち受ける暗い未来への不安で、身体の震えが止まらなかった。




庭の楓が、落葉の下準備に入っている。
毎年必ず眼にしているというのに、見入らずにはいられない星型の真っ赤な葉。
自然界の造形美というものは、どうしてこうも完璧なのだろう。
彼の美しさも、きっとこれに通ずるものがある。
奇跡に思える必然的な美しさ。
恋しくてたまらないそれを、何度も胸の中に描き直した。


このまま、二度と彼に会うことが出来ないとしたら。
気の遠くなるような絶望感は、心の内で既に解離に成功している。
このまま、二度と彼に会うことが出来ないとしても、
それでも自分は想うことをやめないだろう。
こうして季節が変わるたび、彼の美しさに思いを馳せる。
その完璧さに到底及ばない自分を恥じ、彼と言う不世出の人間に
関われた自分を誇り、彼への果てることのない愛情を再認識し、
自分の変わらぬ愚かさにどこか安堵する。
もし再び出会うことが出来たのなら、こう伝えたい。
自分と言う人間はあなた無しには存在し得ないのだと。







こうして兄と、仕事や政治や経済や、くだらない世間話なんかをしていると、
まるで時間が以前に戻ったかのように錯覚しなくもない。
 しかし、思い返してみれば、ここ数カ月は怒涛の事件の連続だった。
 松本に始まり、山形、仙台、東京。奈良。そして……福井と日光。
「どうした」
 直江の表情が沈んだのに気付いて、兄が声をかけてくる。
「いえ………。菊の香りというのは、唯一無二ですね」
「うん?」
「他に、例えようがないというか……」
「まあ、そうかもな。紫蘇や、この茗荷もそうだな」
 直江も兄の真似をして茗荷の浅漬けを口に放り込むと、独特の風味が鼻孔に
まで広がった。
 菊や、茗荷の香りを比喩で伝えようとしてみたところで、結局、菊の香り、
茗荷の香り、と表現するのが一番しっくりくるだろう。
(きっと、あのひともそうなんだ)
 虎に例えてみても、星に例えてみても、音楽家に例えてみても、神の子に
例えてみても、彼は彼、だ。
 形容のしようがない、あえてするなら"景虎らしい"としか言えないような、
強烈な色。唯一無二の魂。それが"彼"だ。
 あらゆるものの強さと美しさを内包し、且つあらゆるものの脆さと繊細さを
内包し………。
「義明」
 呼ばれた直江はハッと顔をあげた。
 兄は探るような顔つきで、こちらを睨んでいる。
「……すみません」
 また、トリップしてしまった。
「義明。俺はな、自分の子供たちよりよっぽどお前の方が心配なんだ」
「わかっています」
 照弘は自分の子供相手となると見事に放任主義となる。
 まあ、義姉がしっかりしているから出来ることではあるのだが。
「ひとりで大きくなったと思うなよ」
「?」
「俺やお前がここまで来れたのは、親父さんとお袋さんが立派に家を護ってきた
からだ。けどな、俺はもう、ふたりには自分たちの事だけを考えて貰いたい」
「兄さん」
「ふたりの役目を引き継ぐのは俺たちだ。いいか、俺と義弘とお前と三人で
橘の家を護っていくんだぞ」
 いきなり真面目な顔になって語り出した照弘に、直江は少々面食らってしまった。
「どうしたんですか、急に」
「わからん」
 兄は本当に解らないと言った風に、首を振りながら俯いた。
「でも、なんだか今言わなくちゃあいけないような気がしたんだ」
 歳かな……と小さく呟く。
 確かに、直江より十二歳上の兄はもう不惑だ。
 先々のことを考えてしまうのもよくわかる。
 再び女将が入ってきて口を噤んだ照弘だったが、やがて
「どこにも行くなよ」
 けん制するように言った。
「……行きませんよ」
 すると、それを聞いた女将が、ふふ、と笑った。
「熱々の、カップルみたい」




やってきたのは、近所にある兄行きつけの小料理屋だった。
 若い頃には関西の方で女優をしていたという美人女将が、笑顔で迎えてくれる。
「奥、空いてるかな」
「今日あたり、いらっしゃると思って空けておきました」
「ええ?ほんとかな」
 そう言いながら、兄はまんざらでもなさそうな笑みを浮かべている。
 しかも何やら紙袋を手渡して、耳打ちまでし始めた。
 直江はここの女将と兄がただならぬ関係にあると一時期かなり勘ぐったのだが、
結局はプラトニックな関係のまま、現在に至っているようだ。
 奥の座敷に案内されて、直江は兄と向かい合って座った。
「後は信一くんにおまかせで」
「わかりました」
 信一くんと言うのは女将の弟で、京都の有名店で修業を積んだという板前さんだ。
 いったん下がった女将は、またすぐ現れて、
「どうぞ」
 出てきたのはお通し三品と、菊酒だった。
「これは……風流ですね」
 薄く色のついた硝子の猪口に、黄色い花びらがよく映えている。
「この菊はな、俺が持ってきたんだ」
 兄が、子供のように直江に自慢してきた。
「もう、夏も終わりなのねえ」
 女将は少しだけ淋しそうに言うと、
「では、ごゆっくり」
 そう言ってまた、下がっていった。



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