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 俺のような人間と、お前のような男が、どうしてあんなに気が合ったのか。
 高校生の頃、俺にはお前の考えていることが、全く理解できなかったけれど、
お前はいつだって俺のことなんてお見通しだった。
 きっとそれは、今でも変わらないんだろう。
 お前なら、今の俺の状況を全部知っている気がする。
 笑うなよ。これでも必死だ。

 今のお前については、あまりいい噂を聞かない。
 けれど、お前という人間が意味もなく、家族を悲しませたり友人に心配をかけ
たりする訳もないから、今お前がしていることは、何かとてつもなく重要な意味が
あることには間違いないんだろう。
 俺に出来ることがあるならいつでも言って欲しい。
 お前が人生を賭していることの、手助けがしたい。
 諸行無常。
 後悔の無いように生きよう。

 奥村啓介

 追伸。
 狭間社長はといえば、すっかりご隠居気分で、最近は畑仕事なんかに精を出して
いる始末だ。
 俺は、今一度あの人を担ぎ上げて、再びハザマの名のついた会社を興す気でいる
んだが、どう思う?
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 その日の夕焼けは、桜の色に似ていた。
「おい、きいてんのか」
「……ああ」
 とは言うものの、明らかに上の空だ。
 直江の視線の先を辿っていくと、空と同じ色の花びらを散らす樹があった。
 再び直江を振り返ってみると、表情はとても穏やかだ。
 伊勢にある、あの若木のことを想っているのか、あるいは桜にまつわる思い出でも、思い返しているのか。
 仕方なく長秀は、話題を別に移す。
「同じ植物同士ってのは意思疎通が図れるらしいぜ」
「土中を伝ってか」
「いんや、空気中に化学物質を放出するらしい」
 直江は初耳だという顔をした。
「こんだけ桜ばっかりの国なら、桜ネットワークは最強だろうな」
 長秀が、そこここに桜たちの発信した秘密の暗号文が飛び交っているような気分になっていると、直江がふらりと歩き始めた。
「おい」
「先に行っててくれ」
 まるでその暗号文を受信したかのように、そちらの方向に歩いていく。
「……ったあく」
 でも、直江くらいになれば、桜と話が出来てもおかしくないとも思えた。
 この時期の直江は使い物にならないと、仲間内でもよく言っている。
 ふとした拍子に、心がどこかへトリップしてしまうのだ。
(まあいいさ、桜が散るまでの間だ)
 頼もしいはずの総大将の背中を見送りながら、長秀もなんとなく、元総大将の姿を脳裏に思い描いていた。




 視界が、桜色に染められた。
「そんなにヨカッタ?」
 事の最中に意識が飛んでしまった高耶は、直江のその一言で目を開いた。
「んんんあああっっ……!」
 それでも動きを止めない直江の身体の下から、息も絶え絶えに高耶が言う。
「昔の……ユメをみた……ッ」
「どのくらい昔?」
「あっ……ああっ……!」
 堪えきれずに頭上を仰いだ高耶の目に、大きな樹の姿が飛び込んできた。
 ああ、と思わず口にする。
「アレの……せいだ……」
「桜?」
 やっと動くのを止めて、直江は自分の背後を振り仰いだ。
「春先には見事でしょうね」
 直江のその言葉を聞いて、高耶は苦い顔になる。
(咲かせてやれないかもしれない)
 大転換を行なえば、ある程度の気候変動が起こることは予測している。
 もしかしたらこの先、何百年も生き続けるかも知れない、何の罪もない命すら殺してしまおうとしている自分。
 背筋の凍りつく想いがした。
「怖い夢だったんですか?」
 急に抱きついてきた高耶に、直江が優しい声になって訊く。
「………忘れさせてくれ」
 そう言うと、直江は何も言わずに再びリズムを刻み始めた。




 それは、桜色の雨のようだった。
「見事だな……」
 江戸の庶民の間では"お化け桜"と呼ばれる巨木の前で、景虎はため息を付いた。
「たまには、花見も良いものでしょう?」
 樹齢百年とも二百年とも言われているこの樹の開花は何故か縁起が悪いとされており、周囲には花見の客も殆どいない。
 穴場なのだ。
 そう聞かされて、
「ならば生まれの頃は、私と一緒かもしれないな」
 景虎はそう笑った。
「しかし我らは身体を換えておりますが、この樹はずっとひとつの身体でおります故、同じとは申せません」
「そうか……」
 頷きながら、感慨深げに呟く。
 "お化け"などという仇名をつけられても、文句も言わずただひたすら立ち尽くしているこの樹。
 日差しが強ければその青々とした葉の下に影を落として、その中に人々を匿うのだろう。
 木枯らし吹けばその太い幹を盾にして、人々を寒さから護るのだろう。
 また春先には、こうやって美しい花を咲かせて心を潤してくれる。
「このような人間に、なりたいものだ」
「景虎様……」
 時を忘れたようにただその樹を見つめ続ける景虎に、直江はずっと、寄り添い続けた。




 この江戸には、春の到来など気にも留めないひとがいる。
 翌朝早く、直江は景虎の家にいた。
「ずいぶん暖くなりました」
 鉢植えをみっつ、並べて置いた景虎は、まず右端の植木から水をやり始めた。
「そういえばそうだな」
 葉を掻き分けながら、ゆっくりとした手つきで如雨露を傾ける。
「近頃は水捌けが好い」
 いつも似たような着物を着ている景虎は、季節の移り変わりにも無頓着な様子だ。
「梅を見に出掛けたりはしないのですか」
 これからの時期の桜には、どうしたって人が集まる。
 昔に倣う意味もあって、景虎が桜よりも梅を好むことを、直江はよく知っていた。
 しかし景虎には一緒に出掛ける人間などいないだろう。
 この家を訪ねてきて、客がいた例がない。
 もしかしたら自分が一番頻繁に、この家を訪れているかもしれない。
 そんな風に考えていたら、景虎は違う意味で首を横に振った。
「もう少ししたら雪も解ける」
 ───そうだった。
 雪がなくなり道が往き易くなったら、景虎は原料調達と錺り物の研究という名目で、
久々の長旅に出ることになっている。
 もちろん実際は、怨霊調伏の為だ。
「そうなれば、梅などいくらでもみかけるだろう」
「……………」
 直江が言いたかったのは、そういうことではない。
 ただ景虎を、遠出に誘いたいと考えていただけなのだ。
 本当なら、旅にだって同行したいと思う。
 昔のように寝食を共にする生活をもう一度してみたい。
 いつ帰るかもわからない人間を待つ時間を考えて、心がひどく重たくなった。
 そんな直江を見透かしたように、景虎は言う。
「長旅にはならない」
 手元では、やっとみっつめの植木の水やりに取り掛かっている。
「………だとよいのですが」
 今はそう思っていても、いざ出てしまえば何年も戻らない可能性だってある。
 覚悟だけはしておかなければ、と思っていたら。
「見飽きた顔も、旅先では恋しくおもう」
 景虎は、ふっと微笑った。
「すぐ戻るさ」
 流し目で言われて、直江は一瞬、呼吸の仕方がわからなくなった。



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