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 江戸の春には、種類があるらしい。
「俺様の"春"は季節の名じゃあない」
 そう言って、長秀は色町へと消えていった。
 その後姿を直江と一緒になって見送る色部に、隣から問いかける。
「色部殿はよいのですか」
「ああ」
 色部は眉を下げている。
「駄目なのだ、絆されてしまって」
 座敷で気の毒な身の上話などを聞かされると、無論法螺だとわかっていつつも、
ついつい放っておけなくなって通い詰めてしまうのだという。人情家の色部らしい。
 けれど色部なら、きっと金を払わずとも泊めてもらえるところくらいあるのだろう、と直江は思った。
「お前こそ、いいのか」
「何がです」
「お座敷遊びをしろとは言わないがな、十手持ちは女を抱いてはいけないという決まりでもあったか」
───……」
 似たような台詞を、つい最近、聞いた気がする。
「母のようなことを言わないでください」
 直江がそう言うと、色部はおかしそうに笑った。
「相変わらず御健在のようだな、母上は」
「ええ、まあ」
 母はともかく、色部といい晴家といい、揃ってこんな話題を持ち出してくるなんて。
(あのひとなら、こんな野暮な話はしない)
 再び脳裏に浮かんだひとの顔がどうしても見たくなって、直江は翌朝一番で出向くことを決めた。
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 江戸の春は早い。
 元旦を過ぎてしばらく経てば、世間はもう浮き足立ってくる。
「最近、めっきり暖かいわねっ」
 恋人に先立たれ、一時期連絡を絶っていた晴家だったが、近頃また復活した。
 文字通り、復活だ。
「お団子の美味しい季節が来るわっ!」
 女言葉はすっかり板についた晴家だったが、時折粗野さが表に出てしまう。
 拳を振り上げて片足を目前の岩に乗せたものだから、着物の裾から脚が露になった。
 ひどい恰好をたしなめながら、直江は問いかける。
「団子?」
「花見よ、花見!」
「ああ……」
 さすがにまだ早い気がしたが、酔って暴れる晴家の姿は容易に想像出来た。
「………あまり羽目は外さぬようにな」
 ため息とともにそう言うと、晴家は直江の顔を覗き込んできた。
「あんたこそ、一緒に行くひとくらいはいるの?」
 つまり、いい仲のひとがいるのかと訊いているのだ。
「…………」
 直江は、一瞬だけ脳裏に描いたひとの姿を、すぐに打ち消した。




 家の前まで戻ってきた高耶は、階段を上る手前で立ち止まってしまった。
 自分はいったい、今日という日に何を期待してるんだろう。
 ここに戻ってくれば、あのダークグリーンの車が家の前に停まっているとでも思ったの
だろうか。
 今日は一日中、ずっとそわそわしていた気がする。
 電話が鳴る度、チャイムが鳴る度に何かを意識していたと思う。
(馬鹿だ)
 重い足を引きずるようにして、階段を上った。
「どこ行ってたの~!」
 友達と出かけていたはずの美弥は、もう家に戻っていたようだ。
「………わりぃ」
「うわっ、告白っ!?」
 手にした綾子のチョコレートに、敏感に反応してくる。
「いや、義理」
「なーんだっ」
「美弥こそどうした、あのチョコ」
「へへ~秘密だよ~♪」
 浮かれているところをみると、それなりにうまくはいったようだ。
 安心したような許せないような、複雑な気持ちで笑顔を浮かべた高耶は、テーブルの上
に置かれたダンボール箱に眼を留めた。
 荷送人欄の氏名をみて、心臓が跳ねる。
「あ、それおにいちゃん宛てで届いたの」
 美弥は無邪気に尋ねてくる。
「橘さんって誰?」
 それには答えることができずに、無言で箱を部屋へと持ち込んだ。
 軽い割には大きな箱を、勉強机の上に置いてはみたものの、開けることができない。
 自分の馬鹿な期待を、見透かされてるようで嫌だった。
 仮にこれを開けてみて、見当違いのものが入っていたら?
 何の飾り気もないダンボール箱。
 あの男が現在調査中の事件に関する資料か何かかもしれない。
 いや、何が入っていたって、心は軽くならない。
 家族と、学校と、使命と、それから………。
 机の上には、色も大きさも異なる箱が四つ、置かれている。
 その四つの包みは、まるで高耶の今の悩みを象徴するかのようだった。




「こっちこっち!」
「なあにやってんだよ、お前ら」
「景虎ってばオレンジジュースしか飲まないんだもん」
 急に綾子に呼び出された千秋は、面白くもなさそうな顔で座る高耶の前に置かれたチョ
コレートに目をとめた。
「おーお、いっちょまえにチョコなんか。収穫はいくつよ?」
「みっつ」
「けっ、しけてんな」
「そういうあんたは?」
───ん?」
「しけてるわねえ~。あ、板チョコでも買ってきてあげようか?」
「いらねーよ」
「………じゃあ、オレは帰るから」
「なにぃ?!」
 目をむいた千秋には目もくれずに、高耶はさっさと帰っていった。
「何だよ、あいつ」
「私たちとじゃ、もう打ち解けて話したり出来ないのよ」
 綾子は憂鬱そうな顔で言った。
「様子見に来たつもりだったに、逆にこっちが心配されちゃったわ」
 それはまるで、上司として部下に接する態度だった。
 しかもそれを当たり前だと思ってやっているのか、強がってやっているのか、綾子には
判断すらつかなかったのだ。前生以前の景虎のように、高耶は最近、人に心を読ませなく
なった。
「そんなの、強がりに決まってんだろ」
 記憶を取り戻したからといって、精神年齢が飛躍的に上がるとは思えない、と千秋は言
う。
 部下の前で、よきリーダーであろうと必死なはずだ。
「そうよね………」
 だとしてもきっと、自分達には何かをしてやることは出来ないのだろう。
 きっと高耶もそんなことは望んでいないはず。
「……あーあ、呑まなきゃやってらんねーなっ」
 千秋はバサッとメニューを開くと、通りがかった店員を呼び止めた。




 陽が沈むと、外気が急激に冷え込んでくる。
 外も暗くなり、譲と沙織がやっと帰ったと思ったら、またしても訪問客があった。
「やっほー♪」
 ライダースジャケット姿の綾子の手には、やっぱりラッピングされた小さな箱が握られ
ている。
「よっ、色男っ♪今日はこれで何個目?」
 小さな箱を振って見せた綾子は、相変わらず元気そうだ。
「みっつ」
「冴えないわねえ!」
 くれるものだと思って手を出した高耶に、綾子はそれを渡さずに言った。
「ねえ、夕飯まだなんだけど、付き合わない?」
「……金ねーぜ?」
「おごったげるわよ。付き合ってくれたらコレあげるからさ」
 別に欲しくはなかったけど、この寒い中わざわざバイクで来てくれたものを無下ににも
できない。
「美弥が帰ってくるまでなら」
「じゃあ、あそこいこう!」
 綾子は近所の居酒屋の名前を言った。
「酒、飲む気かよ」
「大丈夫、ホテルとってあるから」
 上着を着込んだ高耶の腕を、綾子は引っ張るようにして歩き出した。



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